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遊惰な惰声

   

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「タイム/TIME」見てきました。

「タイム/Time(原題:in time)」観てきました。日付変わって一昨日の話だけど。
遺伝子操作により25歳で身体的成長老化が停止した近未来。
25歳以降は時間を通貨とし、珈琲一杯にすら寿命を削らなくては飲めない。
一泊するのに一ヶ月の寿命を払う。
バスだって一時間、二時間の寿命だ。
給料も日当による時間の支払い。
裕福な奴は一世紀分の寿命を持ち、貧困層は一日分の寿命すら、苦労する。
「時は金なり」を体現したような映画。
実際、ブラックジョークな作品で、似た題材の作品は過去にもあった。大体豪遊して最期は呆気なく死ぬ。そこそこ太く恐ろしく短い人生。
大体in timeも似たようなもん。因みにこの映画は盗作疑惑も掛かってたり。
ただ一つ違うのは、有限であり無限であること。
私たちは自分の寿命を知らない。それは所謂パンドラの壺に残った最後の最悪「予知」の為だ。
だからどれだけ豪遊しても、呆気なく死ぬ時に恐怖を持たない。
この作品は違う。
「命」という時間を「知ることが出来る」何時間後、何分後、何秒後、死ぬのかが解ってしまう。
貧困層は23時間後には死ぬ事が文字通り眼に見えてしまう。どれだけ生き長らえるか解らない時間の為に働き、時間を削り、道を走る。
常に時間切れと戦わなくてはならない。
裕福層は余りある時間に不満を持たない。
一世紀を超える時間すらある。
事故などの無茶をしない会わなければ永遠を生きられる。時には時間を掛けて戦い、時間を奪い殺す。
恐怖を知る人間と知らないままの人間が居る。
しかし、この時間は有限であり無限だ。
貧困層でさえ、賢くセコく生きれば100年を超えて生きることが出来る。
超高齢化社会だ。
そしてこの時間という通貨は貧困層から搾取し裕福層が生きる「少数の不死の為に、多数が死ぬ」為のシステムでもある。
貧困層から搾取した裕福層が豪遊し、余りある時間を生きる。
それに疑問を抱いたのが物語のきっかけとなるハルミトンであり、主人公ウィルの父親だった。
作中、ウィルの父親は故人であり、どのような人物かは明かされない。
ただ、お互いの時間を奪い合う「タイム・バトル」が強かった。勝つコツを知っていた。ということ。そのタイム・バトルによって死んだことはウィルによって語られたが、ウィルと敵対する時間監視員はそれを違うと語る。
でも、その真実は全く語られない。
ヒロインの父親も十億の時間を所有するというセリフがあったが、実際に主人公がヒロインの父親から奪うのは百万。
ヒロインの射撃の腕もそうだが、ただのスラム街育ちな二十八歳にしては主人公がものすごく強い。
椅子に座ったまま、片手でタイムバトル、もう片手でギャングの取り巻き三人を射殺する程の腕前。
死にかけの時間監視員も主人公に時間を分けてもらいながら、主人公を追いかけるというのは、ありだとは思った。けど、なぜ執着するのかが分からなかったし、主人公の父親を知る様子もあったが、何も語られない。
最終的に現在の体制が崩れるであろう。というところで、ウィル達が更に大きな銀行へ強盗に入る。というところで幕は閉じる。
面白い映画だったとは思うが、人が時間切れで死ぬ瞬間がなんだが雑で、映画の公開時間に合わせて省きまくった。という印象。
まぁやってる内容が銀行強盗なわけで、体制を破壊する。という意味ではありなのかもしれないけど。
テーマにしては内容がチープだったかな。
金持ちの男が主人公に時間を託して自殺するのに対して、主人公の母親が時間切れで死ぬ対比。そしてそれを救えなかった主人公と最後にヒロインを救えた対比は良かった。
主人公が裕福層へたどり着くまで、かな。良作映画だったのは。あとは凡作、ちょっと残念な映画ではあった。
細かいところでのジョークは良かったけど。
外見は二十五歳でも、中身は六十超えてるような売春婦に引退しろと罵倒したりとか。
もったいない映画だったなぁ。という感じ。

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近況、或いは破滅的恋愛事情復活祭その奴婢訓。

〇頭部〇
演劇実験室◎万有引力の奴婢訓を見に三軒茶屋のシアタートラムまで行ってきました。
演劇実験室◎万有引力は映画版のリング、リング2にて貞子役を演じた伊野尾さんが所属している劇団。
少女革命ウテナに絶対運命黙示録などを提供したJ・A・シィザーが主宰の演劇集団でもある。
学生時代にリングの貞子に惚れ込み、貞子役の伊野尾さんの作品がみたいと思ったところ演劇実験室◎万有引力を知るも金がなくようやっと見ることが出来た。
見てきた演劇は「奴婢訓」「ぬひくん」と読む。
奴は下男、婢は下女のこと。奴婢訓は従者の心得のこと。
主人なき奴婢たちの奴婢としての心得。
唾の吐き方、掃除の仕方、食事の際の服装、言葉遣いその他諸々を逆手に取った正気無き狂気の世界でした。
演劇を生で自らの意志で見たのは初めてでは在ったが、あれほど心にきたものはそうそうはない。
陳腐な言い、例えをすれば、キチガイなお茶会だ。
ゴーシュやダァリア、シグナルにシグナレス、かま猫達。宮沢賢治の作品群から名付けられたキャラクター達。
舞台さえイーハトーヴという徹底。
主無き奴婢は自ら主になりたがり、最後には奴婢無き主ばかりとなり滅ぶ道を辿る。
ところどころで笑いを誘う言葉遊びや小さな動きから見える愛らしさ、そして歪み切った世界観。
全身全霊を持って舞台上を動き回る役者たちに全員に惚れ込んでしまった。

・中点・
オンライン文芸誌「破滅派」に投稿者として参加しました。
まだ投稿はしていないんですが、小説家、高橋文樹さんが主宰の文学集団であります。
この破滅派のモットーは「後ろ向きのまま前にすすめ!」
後ろめたくネガティブに破滅的に、しかし前進する文学。
同人作家としてスタートすらしていない自分ではあるものの、意欲的に破滅するよう精進したいと思う次第です。

〆締切〆
ダークサイドラブストーリーズということで段々と概念が固定し、同時に頭のおかしいヤンデレ好きが増えたり減ったり回ったり飛んだり跳ねたり転がったりしてきましたが、近年「未来日記」がアニメ化に実写ドラマ化となりまして、ヤンデレイベント「やみなべ」復活祭しようぜ! という動きが始まりました。
現在は企画段階。決定し次第ネットの闇を蠢くと思われます。
イベント名が変更になりそうでならなそうな不思議を抱えておりますが、やるとなれば多分解る。参加の意欲が有る奴にならな。
私も今回その奴婢として一部の企画者が破滅しないように破滅請負人になる意気込み。きっと無理だと思ったら無理なんだよ。やれ。
色々未知数ですが、今年一年、ヤンデレを今一度、見直されたし。

*番外*
ヤンデレイベントの話の後、秋葉原にてダーツしてきました。
人生二度目、ちゃんとしたダーツは初。
やってみると面白いね。
会社近くにダーツ出来るところ在るから行ってみる予定。


9時30分夜勤明け
10時00分ダーツ
12時00分昼飯
14時30分経堂へ演劇「動機」を観に行く。
予定

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日工院のイベントへ行ってきました。

夜勤明けに日本工学院のイベントへ行ってきました。
会場はパシフィコ横浜。
医療技術やデザイン系の方をば。
総括した感想として、「モチベーションの上下が著しく、感嘆するものもあれば、俺にだって出来ると感じた物」まで様々。
このレベルで卒業出来るのか、と。
卒業した後、就職できるのかよと疑問に感じました。
自分の事は棚上げで言いますけど、ああいうクリエーター系って「やりたい」って意思が強いから行くわけですよね。
素人知識ではあるけど、金銭面もかなり厳しい職だと思う。
もちろん、これは金を出しても良いな。って思える作品も色々あったし、全体的には良いでしたけど。
作品の中には「未完成になってしまいました」なんてのもありました。
未完成なら未完成で良いんですよ。間に合わなかったもんは「間に合わせんのが仕事だろうが」なんてありきたりな罵倒くらいしか出来ないので。
でもね。「こんな作品はさっさと閉じて他の作品へどうぞ」なんて、馬鹿にすんなって話だよ。
未完成なら未完成で良い。未完成にはなってしまいましたが、これだけ頑張りました。こういう拘りがあります。そういうもんがないとダメだろう。
間に合わなかったけど、頼むから観てくれって気持ちがなかったら誰だって観ねえし観たくもないわ。
そんな奴に仕事でイラストの依頼だとか漫画の依頼だとか、絶対しないわ。
意欲がクズ。それならその学費と時間で俺が学びたいわ。
別の映像系も、一つはめっちゃ評価されているものがあった。
実際あれは「くやしい」と思うくらい良い作品だった。音の使い方も、役者の演技力も、CGも全部しっかり作り込んでるってのがあった。
制作した人たちに話を聞けなかったのが非常に残念だった。
でも、他の映像はCGはそこそこだけど音がBGMしかなかったものもあった。
デビルメイクライみたいなイメージで作りたかったんだろうなぁってのは解るけど、全く格好良くない。襲ってくるモンスターが走るのだって、足音一つない。無いならないで、ジャンプする時にスローにするとか、しっかりと踏み切らせる方が良かった。重さがないから全体的に軽い。
子犬がジャンプするのと大型犬がジャンプするのって全然違うんですよね。
大型犬の方が当然パワーがあるから重いし、遅い。でもその映像にはそういった表現が全くなかった。
それだけでも評価違ったんだろうなぁと残念な気持ちで一杯でした。
でちょっとワクワクしてた医療技術系。
自助具と聞いて、なんか残念な感じはあったんですよ。
ラップ切りって。
片手で出来るラップ切りって。
それは「誰をターゲットにした物」なの。
片手しか使えない人がラップ切って、ソノラップをどうやって皿とかに撒くんですかね。
そもそも、自活出来るレベルなのか。思うに、家族とクラスか施設に入るよ。普通。
全くターゲットが解らなくて困りました。
後はイラスト系っすな。やっぱすげえと思ったのは。
といってもどことなく「pixivでミリオン取ってるような絵」という感じだったけど。
個性がない、って言うんですかね。印象的ではないんですよ。
ラノベとかの挿し絵にありそう。って感じ。
構図も真正面から捉えた絵ってやっぱ多いんですよね。
これ、見上げるような構図だったら迫力あるのになあと言うような物がちらちら。
すげえ上手く、描き込んでるのになぁと。
そういう物が並んでいたからこそ、肩越しで遠近法が入ったイラストなんかはインパクトがあった。
全体的なイラストも上手かったし。
ただ個人的に一番入り込んで聴いたのは造形の物品制作してた人たち。
エポキシ樹脂やLEDを組み合わせた室内灯なんて、多分ウザかったんだろうなぁってくらいに聴いてた。
ビニールパイプにエポキシ樹脂と枯れ葉を入れてLEDライトを通すことで枯れ葉の層になる室内灯。
無印良品の家具なんかに合いそうなシンプルで落ち着いていたデザインとなってた。
地質調査なんかのボーリングっぽいですね。言ったら、どうやら湖に張った氷の厚さ調査なんかの切り抜きが発想元だったらしい。
氷と透明な樹脂、なるほどなぁと感心してしまった。
加えて樹脂だから型を変えれば自由な物が作れるのだから造形の幅が広い。
枯れ葉だけでなく、魚型のインテリアなんて入れたら多分樹脂内に残った気泡と合わせて水槽のような出来にもなったのではないかと考えると非常に楽しい作品だった。
作品として残念だったのは「枯れ葉」という大きなコンセプトだった為にバラバラな枯れ葉になっていたこと。
特にイチョウの葉はそれ自体が特徴的な造形なせいで、イチョウに目がいってしまって浮いてしまっていた事。
茶色から黄色へグラデーションを意識したり、同じ種類の葉に絞っていたらより綺麗に揃っていたんじゃあないかなぁと勿体無く感じた。
その後に見たシルバーアクセ。
十字架と花を組み合わせたデザインで、他の作品と違って十字花という名前の付いていた点も良かった。
作品タイトルというか名前って有る無しでは印象の残り方違うんですよね。
見た側も後で話すときに名前が出ればすぐ伝わるし、作った側も愛着が沸くんですよね。
それだけで思い入れが違うし、完成度も変わるんだよね。
加えて、制作した人と話をしたら作っててすごく楽しかったんだろうなぁってのが良く解る楽しそうな喋り。
室内灯の人は俺も作ってみようって気持ちにさせてくれたし、シルバーアクセの人は、マジで買いたかったくらい作品にのめり込んだ。
来年も行けたら良いなぁ、と。
もっと作品の色々な所に目が行き感想が出せるようになるためにも感性も磨かなくてはならないと実感した日でございました。
誘ってくれた友人に感謝。
次は教員の方や制作した生徒とも話してみたい。ああ、人見知りも治さなきゃなぁ。

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「ラスト・エクソシズム」を観てきた。

ラスト・エクソシズム。原題[The Last Exorcism]

監督:ダニエル・スタム
脚本:ハック・ボトコ、アンドリュー・ガーランド
出演:パトリック・ファビアン、アシュリー・ベル、アイリス・バー、ルイス・ハーサム、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ
配給:コムストック・グループ、クロック・ワークス
時間:87分
レイティング:PG12

●ストーリー
ルイジアナ州バトンルージュ。聖職者の家系に生まれたコットン・マーカス牧師(パトリック・ファビアン)は幼い頃から日曜日の説教を行い、"悪魔祓い"(エクソシズム)を何度も行ってきた地元の有名人だ。
彼は今、"悪魔祓い"の真実を追うドキュメンタリー映画の製作への参加を決意し、映画などでも描かれたその儀式が、手品のようなトリックによる一種のショーであり、実際には何の効果もない詐欺的行為であることを、カメラの前で暴露しようとしていた。
彼は悪魔の存在自体を信じておらず、儀式はそれを信じる敬虔な信者たちのためのサービスと考えて続けていた。
だが、近年各地で"悪魔祓い"中の事故が多発し、子供の死亡事故まで起きていた。
コットンはこの危険な儀式をすぐにでも止めるべきだと思い、真実の告白に踏み切ったのだった。
コットンは、彼のもとに届いていた"悪魔祓い"の依頼を一件だけ受け、その儀式の舞台裏を撮影させることによって真実を白日の下にさらそうとしていた。
それは、これまで47回の儀式を行ってきたコットンの最後の儀式となるはずだった…。


相変わらずネタばれをうまく避けきれないまま、映画館で観た映画2011年3本目。通算3本目。
モキュメンタリーホラー。要するに架空のドキュメンタリーホラー。
キャッチコピーは「全米初登場No1! これが「パラノーマル・アクティビティ」を超えた衝撃映像だ! カメラの前で、“それは”起こった――」
エクソシストというと1977年の「エクソシスト」そのシリーズや亜種のイメージが強くて、2004年にも「エクソシストビギニング」が公開されていたけれど、自分はどれも観たことがなくて、エクソシストシリーズの完結版か、外伝物みたいなもんだろうか。という印象でしかなかった。
映画のレビューを書き始めてもこれで3本目。映画見始めたのも三本目。DVDもレンタルをしないで買う派。WOWOWでの映画なんて集中して観ることはおろか、最後まで観ること自体が少ない。
だから前の二作も、今後もそうだけど監督の過去の作品を知らない。
今回の製作にあたっているイーライ・ロスも「ホステル」や「ホステル2」の監督をしているけど、観たことがない。
監督のダニエル・スタムの作品はパンフレットを観ると「A Necessary Death」の監督をしているらしいけど日本では未公開だそう。これでちょっと救われた感があったり。
で、モキュメンタリー映画自体初めて見るので、ドキュメンタリーなのかなんなのか分からなくて少し困惑するという、ド素人感を隠しきれない視聴でした。
モキュメンタリーという言葉もこれを書いてる途中Wikipediaで知ったくらい用語も知らない。
映画は1カット1カットが長い。ドキュメンタリー風だからだろう。
前半は、コットン神父の経歴や映画を撮ろうと考えた動機、悪魔払いがどんなものなのか、といういわゆる説明パート。
悪魔が憑依した少女ネルを除霊しつつ、父のルイスにはばれない様にネルを電気ショックで痙攣させたり、ネルが足を入れる水に薬品を入れて反応させたり、悪魔払いの準備と称して部屋に仕掛けを仕込んだり。
本当に詐欺師という感じを前面に押し出してる。
ここら辺は、手品師のネタばらし番組を観ているようで、怖い話だとか除霊番組もこういう類の仕掛けでやってるんだろうな。と感心した。
後半は、偽の悪魔払いで無事解決したと思ったら、ネルがコットン一行が泊まるホテルに突如現れたところから、マジで悪魔が憑いているんじゃあないのかという流れ。
ネルの妊娠の発覚。そっから生まれるルイスの近親相姦疑惑。兄ケイレブも奇行がある。
来る途中の村民からのルイス一家の男はカルト信者だ。という言葉。ブゥードゥー教にカトリックにいろいろな宗教が混在する村。そして、本当にネルは悪魔憑きなのか。超常現象の正体は。
宗教から足を洗いたいリアリストと宗教家。
冒頭でコットンが言う科学が進歩しても悪魔払いはいまだに行われている。という。
悪魔払いは確かにコットンが行ったし。
狂信的な宗教家というのは、非人道的な行為に走ることもある。
個人的にはネルは精神分裂病であり、実在した悪魔というのは人的悪なんだろうな。というところに落ち着いてしまう。
テイルズオブファンタジアのゲーム冒頭には「この世に悪があるとすれば、それは人の心だ」という言葉のがあったけど、コットンの「人を救うことに変わりはない」という考えの通り、この映画の狂信的な信者達は人を救う為に動いている。
ルイスも娘を助けたいという気持ちは本物だったわけだし。
ファンタジアの言葉では「この世に悪があるとすれば、それは人の心だ」の後に「しかしそれは同時に善でもある」という言葉が続く。
神も悪魔も嘘っぱちだと気がついた男と、神も悪魔もいまだに信じ続ける者達の価値観はどこまでの交わらない。

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「ザ・ウォード/監禁病棟」を観てきた。

「ザ・ウォード/監禁病棟」を観てきた。
ザ・ウォード/監禁病棟。原題The Ward

監督:ジョン・カーペンター
脚本:マイケル・ラスムッセン、ショーン・ラスムッセン
キャスト:アンバー・ハード、メイミーガマー、ダニエル・パナベイカー、ローラ=リー、リンジー・フォンセカ、ミカ・ブレーム、ジャレッド・ハレス。
配給:ショウゲート
時間:89分
レイティング:R15+

1966年。20歳のクリステン(アンバー・ハード)は身に覚え のない放火の罪で精神病棟に送られる。
同年代の少女ばかりを収容する奥の病棟に隔離され、そこでは一人ずつに部屋があてがわれた。
クリステンは、初日の夜 から見えない人の気配を感じ、いわれのない不安を抱く。
同じような境遇の少女は、ボロボロのぬいぐるみを抱くゾーイ(ローラ・リー)、華やかなサラ(ダニ エル・パナベイカー)、絵を描くのが好きなアイリス(リンジー・フォンセカ)、歌を得意とするエミリー(メイミー・ガマー)の4人。
自分のことを狂人と認めている彼女たちとは違うと自負するクリステンであったが、担当医ストリンガー(ジャレッド・ハリス)と面接する中、自分の仕業とされる放火を見たことと 自分の名前以外、一切の記憶を失っていることに気づく。さらにその夜、廊下を歩く奇妙な女性の姿を目撃し、事態は新たな展開を迎えるのだった……。



映画館で映画を見始めて二本目。
こういう映画を第一弾で見たかったなぁ。と思っていたり。いなかったり。
キャッチコピーは「逃げることは許されない、本当の恐怖を知るまでは―」
DVDで観た映画ではあるけど「セッション9」でこの映画とまったく同じ殺人シーンがあったのが個人的に感動。
どっちも精神外科と関係がある映画で、現実と妄想。殺人犯と幽霊。という違いはあるけど本当に同じ映画ではないだろうか。
幽霊というのは、目には見えないし、実体がない。だから自殺においやったり、超常現象で人を殺していく。「リング」だとか「呪怨」だとか。
これも幽霊が人を殺すわけだけど、ロボトミーや電気ショックと医療系の器具や治療法で殺す。幽霊にしては物理的。
少女たちがお互いをお互いに罵倒して、すぐに突っかかるってのが、なんか女の子だよね!
いや、別に女の子みんながそうじゃないけど。男にだってそういう奴いっぱいいるけど。
ストーリーというか、作品のネタは「精神病院」とか、登場人物のちょっとした言動で「ん?」と思える、伏線としては分かりやすい物だったんじゃあないかなぁ、と。それで面白さが半減したとか、そういうのは自分はなかった。むしろ、わくわくしたというかのめりこめた。
クリステン役のアンバー・ハードが、二十歳の少女という割はすごくしっかり者というか、作中のほかの少女も言ってるけど、強い人。うさぎのぬいぐるみを抱える少女ゾーイと比べたら「女の子同士」じゃなく「母と娘」ってくらい強い。子供を守る母の強さがある人物だった。
個人的にこの映画ですごいと思ったのは、少女たちじゃなく、少女たちの担当医。ジャレッド・ハリス演じるストリンガー博士。
ほかの看護師たちは、アンバーたちに対して結構威圧的だったりするのだけど、ストリンガー博士は何かを知っている節は初めから思い切り見せっぱなしで、でも言わない。自分で頑張れ。そういって突き放す。
クリステンがほかの少女たちに対して「母の強さ」を持つなら、ストリンガー博士は「父の強さ」を持った人物。
守るのがクリステンなら成長させるのがストリンガー。この成長は精神病治療を通じても思う。
患者の心的外傷を治すためには患者がトラウマと向き合う必要があると思うし、それは成長とも言える。
ただ、それは「手伝いはしてやる。でも最低限だけだ」というもの、土台は用意する。精神安定剤だったり、治療や面談だったり、最低限の部分はする。
でも、答えは絶対に教えない。
勉強している子供に。参考書は渡すけど、解き方を教えない。公式を教えるけど、使い方は教えない。
それじゃあ、子供は先に進めない。本当は与えるだけじゃなく、使い方を教えないといけない。分からなかったらそれはないのと同じで。
使い方を知ったら、応用をしていく。それが子供のする本領のはずで。
ストリンガーはそこを間違ってしまって、クリステンはそれで苦しんで。クリステンの両親はストリンガーに頼り切ってしまっている。

ザ・ウォードは大人と子供の物語。
でもそこには愛情というものがなくて、大人は子供を理解しているつもりでしかなくて、子供は何も分からないまま成長しきれない。
キャッチコピーにある通り、クリステンに逃げることは許されない。
でも、真実を知っても逃げられない。本当の恐怖を知ったところで、戦うしか選択肢はない。
理解し合えない、大人と子供の溝。
自分を乗り越えることがどれだけ難しいことか。

DVD購入するつもりです。

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プロフィール

HN:
永井 晶
性別:
男性
職業:
俳優/声優
自己紹介:
Studio arshe所属 
日本ボイスコーポレーター連盟正会員

仕事情報

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